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記事一覧
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品物について考へてみても
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品物について考へてみても、物の利用価値といふことはもちろん第一に計算に入れなければなりませんが、あまり実用本位といふことにのみ気を取られ、文化価値を全く閑却したものは、いはゆる殺風景となるのであります。殺風景も忍ぶべき時には忍ぶべきでありませう。しかし、それが常態となることは、結局、人間の退化であり、堕落であります。それなら、品物の文化価値とはどういふ形で現れるかと云へば、さつき云つたとほり、おほむね道徳性、科学性、芸術性の三つの形で現れます。品物の道徳性とはちよつと説明が困難ですが、一番わかりいいのは、つまり、まやかしものでないかといふこと、俗に云ふ、「インチキ性」がないかどうかといふことです。「ちやちな」といふ言葉がありますが、これは一方道徳的な意味もあると同時に、寧ろ、科学性の低い、技術的に幼稚、或は粗雑なものを指すので、やはり、利用価値から云つても問題にならぬことを示してゐます。更に、「ちやちな」ものは、美しいといふ点から落第点がつけられませう。物の美しさは、それが一つの用途をもつものであれば、きつと、その精巧さと比例し、使ひよく丈夫で永持ちのするものなら、形と云ひ艶と云ひ、申分のない美しさを発揮してゐるに違ひありません。
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固より、彼の恋愛観は
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固より、彼の恋愛観は、十九世紀末的近代主義の洗礼を受けてゐるといふ点で、一概に過去の作家とその傾向を結びつけることは許されないが、仏蘭西劇の本流を形造る心理劇、殊にラシイヌよりマリヴォオを経てミュッセに至る偉大にして光輝ある仏蘭西戯曲の伝統が、十九世紀末より二十世紀の初頭にかけて、『過去』『ふかなさけ』『老年の男』の作者、ポルト・リシュを生んだことは決して偶然ではない。
キュレルが、近代の思想劇に一つの出発点を与へたとすれば、ポルト・リシュは近代人の感受性に根ざす恋愛心理を透して、仏国劇の伝統を継承し、これを次の時代に伝へる最も眼ざましい頂点を占めてゐることになる。
殊に見逃してはならないことは、近代劇の重要な進化の一点が、劇的文体の完成、言ひ換へれば人物の心理的飛躍に伴ふ対話の暗示的表現が、ベックよりポルト・リシュに至つて殆ど写実の極致に達し得たことである。http://yabuwo.point-b.jp/b/index.php?year=2014&mon=05&day=21&cd=1
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彼はキュレルに比して
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彼はキュレルに比して、理想主義的傾向は薄いにも拘はらず、その作品の劇的生命は、むしろより豊富で、且つより力強いものがある。彼が写実主義者である点、その流れをアンリ・ベックに汲んでゐると云へば云へるが、彼の特質は、全然優れた心理解剖家であることである。彼は、然しながら、ベックの如く冷やかな眼で人生を視ることは出来なかつた。一面、情熱の詩人である彼は、その解剖のメスを彼自身の心臓の上に加へた。彼は作中の人物それぞれの中に、己れの希望、不安、懊悩、怨嗟、諦めを与へ、自らその人物と倶に微笑み、戦き、身を投げ出し、泣き叫び、息づまるのである。彼の感受性には多分の「女性らしさ」があり、その表現には極めて虔ましいコケットリイと、やゝ捨鉢な露骨さが入り混つてゐる。
彼は自作全体に「恋愛劇」の名を与へてゐる如く、彼の作品はことごとく赤裸々な恋愛史である。華やかにも痛ましい性的争闘の活写である。彼が描くところの男女は、ことごとく「性の犠牲」であり「愛の勝者被勝者」である。http://yabuwo.point-b.jp/b/index.php?year=2014&mon=05&day=21&cd=1
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